2011年8月11日木曜日

the reason...

「医師を志す理由」





今まで真面目に文にしたことはなかったから一度書いてみることにしようと思う。

最初に断りをいれておくと

おれが医師になろうと思ったことに必然性はなくて、

小さい頃命を救われて〜 だとか 親が医者で生き様にあこがれて〜 みたいな

ああ、こいつは医者になるべくしてなるんだろうな 的なかっこいいのはないです残念ながら。

事実受験直前までICUに進学することも視野にいれていたし。

そんな凡夫なワタクシが医学部進学を決意したのは

高2のときにインドを3週間放浪してたときのことでした。





小さいころに家族でエジプトのカイロに3年間住んでいたことがある。

現地の幼稚園に通って多国籍なガキの集まるキンダーガーデンライフを送っていたことや

その当時両親に連れられヨーロッパやアフリカを旅行したこともあって、傲慢かもしれないが、

”外国”や”異文化”ってのは普通の人より比較的身近なものだったように思う。

そのころから幼心に

「海の外にも国がある 世界は日本だけじゃない もっと広い世界を見てみたい」

「将来は世界をフィールドに生きてみたい」

なんて憧れを抱いていて、その気持ちは今でも醒めずに胸に残っている。



当時の僕にとって旅行先ケニアでのサバンナを自由に駆け回る動物たちの姿はたいそう刺激的だったようで

事実アメリカ留学前までは本気で北大獣医学部を目指していた。(まんが 動物のお医者さん が好きだったから北大。)

小学校中学校の文集の将来の夢の欄はいつも”獣医”だったし、

留学前は尊敬してやまない滝田明日香さん(主著 サバンナの宝箱)にメールを送って

いかに自分が獣医になりたいかをアツく語ったりもした。(今思えばすごく恥ずかしい)

それくらい獣医しか見えていなかった僕が、医師という選択肢にうっすら気づき始めたのは

中3のフィリピンのスモーキーマウンテン訪問にある。

スモーキーマウンテン(今は撤廃されたけども他の場所に新しいのができつつあるとか。)ってのは

都市部(マニラ)のゴミを集めて捨てている郊外のゴミ山周辺のスラム。

そこの現地で働くNGO職員の話を聞いたり、スラムを歩いたりした。

ショックだった。

小6で行った南インドや中2のとき行ったタイ・カンボジアでも感じていたことだったけど

自分がフツウ・ジョウシキなんて思ってることが全く通用しない

そんな空間が、劣悪な環境が、哀しい歴史が、

そこにはあった。

純粋に「何かしよう」と思った。

いや、もっと正確に言えば「何かしなければ」と思った。

もしかしたらはき違えた優しさの押しつけかもしれない。ただの自分のエゴかもしれない。

だけどあの光景を見て 何もしない って選択肢を選ぶのは無理な気がする。

帰国して国際公務員やNGO職員のなり方みたいなのを調べてるうちに

国境なき医師団 という国際医療団体の存在を知った。

そのころから自分の中の「世界で働きたい」という夢が「世界に貢献したい」に形を変えていった。

正直まだ獣医になる夢は捨てられてなかった。長年背負いすぎたのかもしれない。

だからとりあえず選択肢が広げられるよう、学力なんかが理由で夢が閉ざされないよう、

地元の進学校に入学した。

高校2年、夏に留学を控えた年の春、理系に進学した。

留学した理由はいろいろあるんだけど

1つは”逃げ”だったように思う。

このころには獣医もあくまでオプションの1つになっていて、

このままなんとなく獣医を目指して、なんとなく思い描いた将来を生きてゆく。

この3年間、特別な出会いもなく、世界を知らず、人を知らず、フツウに過ごしたらそうなるんじゃないか、

そんな危機感があった。

理系にしたのは帰国後に文転する可能性を考慮してだった。

特別理系へのこだわりはなかったが、門戸は広げておきたかった。



そして1年間アメリカテキサスでの生活。

世界は広い。けどみんな同じ人間。

それを強く感じた1年だったが将来選択に決定的な出来事はなかった。

が、医師と会う機会が多かった。

というのも、僕のHF(ホストファミリー=滞在中の家族)のmomが

数年前に運転中、トラックに後ろから追突されて下半身不随になった経験があった。

どの病院でもあきらめられていた彼女は藁にもすがる思いでDr.Chinという漢方の専門医を訪ねた。

そしたら数年に及ぶリハビリと断続的な錠剤摂取でなんと見事動けるようになったのだ。

momが診察を受けに行くとき、ときどき着いて行ってドクターにお会いした。

単純に すげえ って思った。

それまで漢方やら針治療やらなんてのは半分くらい非科学的な迷信チックなもんだろ

とか思ってただけに、なおさら感銘を受けた。




日本に帰国した6日後、再び日本を後にした。

行き先は北インド。夏休みを利用して、勉強を再開する前に旅がしたかった。

進学については何も考えてなかったが、この3週間が自分のここまでの人生の中で1番と言えるほど濃かった。

初めての1人旅。路上を平然と歩く牛の群れ。じめじめして汗とスパイスが香る特有の大気。街の喧騒と人々のエネルギー。定刻に来ない電車。いい加減な物売り。南京虫だらけのベッド。汚い路地裏の安宿。鼠の死骸と腐った汚水。死を待つ人の家での早朝ミサ。エイズにかかった少女、その笑顔の汚れの無さ。家のない乞食達。全身を火傷した老婆。四肢をなくした物乞う仏陀。聖なる河ガンジスと火葬場の死体、それをかじる骨ばかりの犬。自分の火葬に使う薪を集める老人。湿った風に揺れる鮮やかな橙の布。すべてを包み込む悠久の流れ。そして日本と一つながりの空の青。

衝撃。

その一言がこれほど適した日々はなかった。

旅の道中の具体的な出来事を書けば限りないが、

ただただ、あのスモーキーマウンテンで感じたようなショックを受けた。

TVや雑誌なんかで見るのと比にならないほどの ”貧困”というリアルな現実。 



そして無力な自分が無性に悔しかった。 




単にモノがあることが幸せとは思わない。




けれど自分がこうやって恵まれて生きている裏ではこんな現実がほんとうにある。 



誰でも知っている、けれど自分の目で耳で口で鼻で皮膚で感じたそれらは

はるかに現実味を帯びたリアリティだった。



自分の生き方についてひたすら考えさせられた。 

何かしたいと思った。

安易な結論は出したくなかったが

このまま帰国して、またふぬけた平和にさらされてリアルを失うのは嫌だった。



旅の終盤、行き着いた結論は「医師」と「教師」だった。

「世界をフィールドに、人と関わりながら」

この自分のコンセプトに沿った生き方を考えたときに、その時の僕に考えられたのはこの二択だった。

インドを始めとするほんのわずかな切り取られた世界を見てきた経験と知識の断片から

”この世界”に関わって行くのに必要なスキル、そして”この世界”が欲しているスキルは医療と教育のように思えた。

そして僕は医療を選んだ。

言葉にできるような理由はあまりなく

今までの経験からの興味 と 自己への挑戦 みたいな思いがあったように感じる。

帰りの日本行の飛行機便で、そんなちっぽけな使命感を胸に、小さくなっていくインドを見下ろした。





帰国後の勉強は、なんせブランクが1年もあるんだから、本当に大変だった。

物理はmgが何かわかんないし。数学はタスキ掛けすらできないし。

地頭はいい方じゃないから諦めかけたことも正直あった。

何かと理由をつけて逃げようともした。

それだけに受かったときは本当に嬉しかった。




葛藤はいつもある。


「医者になりたいのは自分のエゴではないか? 」



と。

研究者になってエイズや鳥インフルエンザの特効薬を開発すれば、



後世まではるかに多くの人々を救える。 




そもそも企業して大金持ちになってインフラ整備することのほうが役に立つだろう。


それなのに自分が第一線で人と関わりながら、一握りの命を助けたいと願うのは 



ただの自分の我儘で歪曲した正義感なのではないか? 

人を救うなんて偉そうな事を言っても結局 自分が満足して死にたいだけではないか?


それは本当に望まれていることなのか?

書き出せばキリがないほど、たまに迷うことがある。





来年アフリカを1年間放浪する。

その理由の1つはこの葛藤と向き合うためな気がする。

世界をフィールドに医療を展開していけば、当然無視できない存在であるアフリカ大陸。

矛盾と非合理が混沌と渦巻くこの大陸を肌で感じてきたい。

そんな思いが今は強い。

その結果もしかしたら医学部を辞めることも可能性として覚悟はしている。







カタい上によくわからんアレになっちゃったけど

こんな感じなんです。

長々と失礼しました、読んでくださった方ありがとうございます。

1 件のコメント:

  1. こんばんは
    医者を志す理由読ませていただきました。
    同学年で井口くんの存在は知っていましたが、面識はなくたまたま今回ブログを拝見しました。
    私は外国に行ったことのない人間で井口君の経験の豊富さに驚きました。
    井口君は自分がしたいこと、しなければいけないことを色々と考えているのを感じました。
    でもやりたいと思っていること自体が素晴らしいことで、まず自分にできることをするのも大切なことだと思います。医者になるのならばそのための勉強に精を出すのも一つの道ではないでしょうか。
    その視野の広さと思慮深さを生かして、行動してほしいと思いました。

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