2012年6月18日月曜日

人に優しくされたとき。前編



港町ワディハルファに着いた翌日、「手付かずの廃墟化した遺跡がある」と聞き、ナイル川沿いを400キロほど南下したところにある小さな村・ソレブに向かった。



町をぬけると、車窓からの景色は緑ひとつない一面の砂漠に変わった。黒い岩石がエジプトの黒砂漠を彷彿させる。窓から吹き込む風がドライヤー並みの熱風で、気づけばペットボトルに入れた水がお湯になっていた。



5時間弱のドライブの末、家が数件、といった何もない砂漠の村でミニバスを降ろされた。地元の人に聞くと、どうやら目的地からやや離れた川の向こう岸にある別の村らしい。何回も確認したのにw

ナイル川を渡るために船頭を探すも、唯一英語が多少通じる若い男はぼったくろうと必死。バスの運転手もコイツも...

スーダン経験者から度々『スーダン人=ハイホスピタリティー・ノーハッスル(ぼったくりなし)』と聞いており、勝手に期待していただけに、ちょっとショック。



仕方なく隣の村まで歩くことにした。 が! 計20キロはあるバックパックとギター持って炎天下の砂漠を歩くのは想定外にヤバイ。水はすぐなくなり、乾きに耐えながら歩き続ける。ナイル川の水をそのまま飲もうか本気で考えた。



30分くらい歩いただろうか、命からがら隣のマリヤ村(家3件しかない)に辿り着くことができた。大きな木の木陰でおじいちゃん達が昼下がりを過ごしてるのを見つけ、水をもらう。

砂漠の知恵なのだろうか、スーダンでは町や村の至る所に水瓶が置かれている。ちょっと白濁しているけれど、中は意外にもひんやり冷たいことが多い。たまにナイル川と同じ色ではあるが。



そんな冷たい水で喉を一気に潤す。勢い良すぎて少し咽た。水がないと人間って死ぬんだな。当たり前だけど。

おじいちゃんの名前はアブドゥル。この村の村長的ポジションなようだ。ゆっくり話すカタコトの英語と、これまたゆっくり話すアラビア語がかわいいらしい。



そんなアブドゥル、「泊まっていきなさい」と家に招待してくれた。もう夕暮れ時だったのでご好意に甘えることに。

アブドゥル家は誰が誰なのか人間関係がつかめないほど大家族で、息子やら娘やら婿嫁やら従兄弟やら、とってもにぎやか。夕飯までご馳走になった上に、翌日の親族の結婚式にまで招待してくれた。

夕景・ナイル
家かわいい
床も壁も波紋みたいなデザインでお洒落
テンション高め
電気がないから自家発電機 はじめて見た
夕飯はクレープみたいな薄生地をディップして食べた


スーダン田舎の一般家庭は一階建ての広い家が多い。大抵、中庭に鉄パイプを組み立ててできたベッドがいくつも置いてある。

テントを張らせてもらおうと思ったら、そのベッドをひとつ貸してくれた。日中は40℃以上にまで上がる気温も、夜になればだいぶ涼しくなる。タンクトップじゃ薄ら寒いくらい。

まわりに明かりのまったくないマリヤ村の星空。地平線まで広がる空を埋め尽くすような星々。ベッドを屋外に出し、それを眺めながら眠りについた。






翌朝、珍しく早くに目が覚めた。歩いて30秒のナイル川へ行き、歯を磨く。朝のナイルの水面は怖いくらいに静か。車のエンジン音も、電気製品の音も、飛行機の音も、およそ人間が作り出す音は何一つ聞こえない。

そこにあるのは、ただ、ナイル川とオアシスと謙虚に建てられた幾件かの家々。シンプルだけど、いや、シンプルだからか、美しかった。



日が昇り暑くなってきたから川で沐浴した。今まで「ナイル川」といったら「エジプト」を連想していたけど、当たり前だが、それは上流のスーダンにも続いていた。

そのこと自体は地図を見て知っていたはずだけど、何故だか、スーダンの地でナイルに浸かって初めて実感できた気がした。

単なる知識が五感を伴った実感に昇華すること。旅の醍醐味の一つだってつくづく感じる。



アブドゥルのおかげで対岸のソレブ村にも行くことができた。



スーダンで始めて見る遺跡。聞いていたとおり人の手が加わってないその様は、廃墟といったほうが適切かもしれない。

長い月日の間に大部分は崩れ落ちてしまったようで、古代ナイル文明の象形文字ヒエログリフが刻まれた岩が無造作に散らばっている。






昔立派な神殿であっただろうそれは、特別扱いされることもなく、砂漠とオアシスの村の風景に馴染んでいた。


((後編につづく))




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リアルタイムではスーダンの首都カルツームにきてます。カイロを彷彿させる大都会です。
することなくて暇なんで、避暑もかねてパソコンいじってます。

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