2012年8月13日月曜日

ティカ訪問記~前編~


前回の記事のキベラ訪問翌日、マタトゥと呼ばれるミニバンに乗り、「ティカ」へと向かった。昨年の秋田で早川さんと一緒に講演されていた石原輝さん。石原さんもまたケニアで長年活動されてる方で、アマニヤアフリカというNGO団体を通して、低所得者・障害者のための職業訓練学校を運営されている。早川さん引率のティカへのスタディツアーに、ご好意で2日間だけ突然参加させて頂いてきた。今回はティカでの2日間で見聞きし感じたことを前編後編でまとめてみようと思う。





ティカへと続く道は片道3車線と頗る整備されていて、ナイロビから1時間とかからなかった。乗車賃は100Ksh。ティカの街は想像していたそれよりも大きく栄えており、やや発展した地方都市、といった様相を呈していた。ナイロビを東京とするならティカは新潟といったところだろうか。そんな適度な田舎臭が心地よい、そんな第一印象の街。

適当なホテルを見つけ一泊し、翌日午前中、朝5:30にケニアに到着したという参加者の方々と合流。休むまもなく、早速スタディツアーが開始された。

最初に伺ったのは松下照美さんが設立されたNGO団体「MOYO CHILDREN CENTER」の事務所。そこで松下さんからお話を聞かせて頂いた。元々陶芸家として日本で長年反核運動をされてきた松下さんは、同じく芸術家の旦那さんの死をキッカケにアフリカへやってきた。始めに訪れたウガンダでストリートチルドレンに出会い彼らのリハビリを手伝っていたが、今は最終的にたどり着いたケニアで同じことをされている。「子供たちと暮らしたい」、その一心から現在65歳の松下さんは英語を学び始め、ケニアのアメリカ大使館爆破という団体新設の難しい大変な時期に、2年かけてここティカにNGOを設立されたそうだ。この地を選んだのは、今でこそ大きくなってはいるが、当時ティカの町のサイズが丁度良かったことや、ナイロビとの連絡もとりやすいこと等があるらしいが、一番は「直感」だった、という。

①子供たちの学費支援
②ホームの運営(2010年に新設)
③ストリートに暮らす子供たちのリハビリ

MOYO CHILDREN CENTERの主な目的は上記の3つ。この他にも近年、ジュワカリ(手仕事職人)としての職業訓練や寮費の支援、HIV陽性の子供たちの支援にも力を入れられてるそうだ。

松下さん曰く、ストリート出身の子供たちは「ストリート気質」がなかなか抜けないのだという。「物は盗らない」「嘘はつかない」など、日本人の立場からしてみれば当たり前の大前提も、彼らにとってはそうではない。スラムに生まれ周囲に大人がいなければ、誰も社会で生きていく為の「しつけ」をしてはくれないのである。こうやってインドのカースト制を髣髴させるような悪循環は続くのだ。「そんな子供たちに再教育を施すのは一筋縄ではいかないことばかりだ」、と松下さんは語る(実際、この間も「自分の言ったことに責任をもつ」ということをどう教えるかで苦労されたそう)。そういった「しつけ」に加え、MOYOでは子供たちの特技を見つけ伸ばすことも行っている、とのことだった。

『子供たちに「ここがオレらの家だ!」って感覚を持ってほしい。そして早く自立してくれ!』

様々な苦労話をしながらもそう笑顔で語る松下さんは、とても楽しそうで、生き生きしておられた。そんな彼女は日本の子供たちについて、「体ごとぶつかりあえる環境がなくて可愛そうだ」と述べられていた。確かに、体罰の禁止だとか最近よく耳にするモンスターペアレンツだとか、教員である自分の父親から話を聞いても、なかなかに現代の教育現場には縛りが多いように思える。実際に今度、日本の悪ガキをアフリカに連れてくる計画をされているとか。「どうなるのかね、楽しみだね」、そう笑っていた。

スラムの子供たちと共に暮らす松下さんだからこそ分かる話も聞いた。子供たちが「学校に行きたい」と口にするのも、時には嘘だったりするらしい。「なんか言っときゃいいかなーみたいな感じなんですよね、その方が施設やNGOに助けてもらえたりするから」、と松下さん。ある子供が「学校に行きたい」と言うから制服を繕って通わせたところ、3日後に路上にいた、ということもあったとか。

ストリートに生きてきた彼らには「貧しさを選択している部分がある」そうだ。施設から家出したり、学校に行かなくなったりと、それら行動の理由はそこに収束される。子供たちの中には廃材拾いや盗みやらで1日1000Kshも稼ぐようなツワモノもいるらしい。そんな彼らにとっては、誰からの小言もなく、自由気ままに暮らせるストリートの方が、3食食べられてベッドで寝られる施設よりも、楽、なのだそう。好きなことをして好きなものを食べて、寒ければシンナーを吸って寝ればいい、路上の魅力は大きいという。これを聞いた時、キベラでのフリーザ先生の言葉を思い出した、「スラムという環境に少なからず満足している人も多い」、その事実はナイロビの巨大スラムでも、ティカのストリートチルドレンにも共通しているのだ。







ちょっとリッチな昼食後、2010年に建てたという20人の子供たちが暮らすトウモロコシ畑の真ん中にある家を訪問した。8000vの電流が流れる高圧電流線が張り巡らされた高い壁の中は、白のタイルが新しい家とよく耕された畑があった。子供たちの叩く太鼓の音に歓迎され家の中に入ると、が寄ってくる。自己紹介のときに照れてる姿が可愛らしい。2つの二段ベッドが並べられた整頓された部屋が5部屋、ここで彼らは生活している。松下さんの方針で掃除や手伝いは子供たちに当番制で割り振られており、そうしやすい設計を依頼したのだそうだ。ウガリとシチューをご馳走になり、一緒に踊ったり歌ったり楽しい時間を過ごした。子供たちに囲まれて、本当に楽しそうにしている松下さんの笑顔が印象的だった。





故郷である日本を離れ、言葉も文化も肌の色も違う遠く離れたケニアの地で長年エネルギッシュに活動されている松下さん、こうして活動を続けているのは「楽しいから」だと言う。今回の訪問で松下さんのこの言葉が印象に残っている。「楽しい」、自身の内側にあるモチベーション。ひねくれ者を通りこしてもはや「ねじくれ者」の僕には、「子供からたくさんのことを学んでいるからです!それが私が彼らのために働くすべてです!」みたいな純粋な奉仕精神は嘘だろーとか疑ってしまう。もちろんそういう方もたくさんいるし、それが純粋なモチベーションになるのは、むしろ妬ましいくらい羨ましい。そんな僕だからか、松下さんの「ただ楽しいんです」という言葉は、なんというか、ストンと腑に落ちた気がした。シンプルな感情、自分自身の中にある枯れないモチベーション、それに正直になることが、難しいけど、一個の大きなポイントな気がしている。



最後に。

自分の支援している以外の子供をストリートで見かけたときどう思うか、という質問があった時、

「一人で全部はできないと割り切っている。私は私のできることを精一杯する。他の人とそうやって交差していけたらいい。」

という松下さんの答えに共感する所が多々ある。旅に出てもう5ヶ月、大学に入学し実際に大学病院キャンパスに通っていた頃より「自分が医学生だ、医者になるんだ」ってことを強く実感するようになった。まだ知識も技術も何もないけれど、「医療」は自分の人生の武器。農業や教育や宇宙や芸術や、興味のあるジャンルはたくさんある。でもどうしても何かを成し遂げようとすると選択しなければならない。全部を全部自分一人でやろう、なんてのは、土台無理、とまでは言わないけどいくらか効率が悪い。そんな時大事なのは「この分野はコイツに任せる」って心から言える仲間の存在だと思う。同時に、そんな貴重な仲間から「オマエになら任せられる」って思われるような人間であれるよう、自分にできる範囲で全力出すこと。そんな良い意味で依存し合える仲間同士の人生が交差して、ひとつの「うねり」ができたなら・・・旅に出て、そんなことを、以前に増して、強く、思うようになった。

「その時々を丁寧に生きたい、何かをやってみての後悔は辞さない」

大事なメッセージを受け取った一日だった。忘れないように、忘れても戻ってこれるように、心のフォルダに名前をつけて保存しておこう。


にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ
にほんブログ村
ソマリア難民キャンプで活動されてる方にユニセフのドクター紹介して頂きました。14日にお会いしてきます。今回の旅でお医者さんの先輩にお会いするのは初!楽しみだ。
ってことでワンクリックよろしくちょりーっす!

0 件のコメント:

コメントを投稿

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...