2012年10月21日日曜日

チームキリマンジャロの栄光 後編





4日目。ここから始まる2日間がキリマンジャロ登山のハイライトであり、一番の難関だと話に聞いていた。4700mのキャンプ地までかけ登り、数時間休憩した後、深夜にアタックを開始する。蓄積した疲労と睡眠不足、そして暗闇の中から突如訪れる高山病…そうした一切合切を抱えながら、ただ黙々と頂を目指すのだ。まったくもってとんでもない話である。8万円近く払ってわざわざ苦しさを味わうなど正気の沙汰とは思えないが、そんな過酷な行程に魅せられワクワクしている自分がいた。キリマンジャロに限らず、登山者はだいたい変態なんだと思う。



目を覚ますと、いつもの如く霧は晴れ渡っていた。夜露に濡れたキャンプ場は200mほどの崖に挟まれるように位置しており、残雪を従えたキリマンジャロの山稜が青空の中に聳え立っていた。随分と近づいたようで、未だ遠いようで、改めて5800mという未知の世界に震撼する。



本日一発目は崖登りから始まった。と言っても、ロッククライミングのようなエクストリームなものではなく、崖に沿った細い道を進む、というものだ。時折両手両足を使わないと超えられないような岩岩が道を塞いでいる。日光が当たらない岩影ではまだ随分冷えるにも関わらず、額からは汗が滴り始めていた。格段キツいわけではないのだが、キャンプ地からは眺められた道の終わりが、登ってる最中は見えず、精神的に地味に疲れる。


それもあって崖を登り切り、眼前に広がった風景には目を奪われた。それは巨大な「山」だった。岩石がなだらかに広がる開けた土地に、堂々と荘厳に聳えるキリマンジャロ。その岩肌を這う穢れなき残雪が陽光を受け煌き、反対に、空の青は真夏の蒼穹よりも黒々としていた。そのコントラストが圧倒的な威圧感をもって眼前に迫ってくる、そんな風景だった。



そこからは登りとも下りともはっきりしない道をひたすら歩く、という何ともテンションの上がらない行進を続け、最後の水補給地である小川にて3L分のペットボトルを充填した後、4000m位のキャンプ地で昼食休憩をした。


寂しげに点々と転がる岩々と、白い濃霧に囲まれた灰色の砂利道。昼食後、そんな道を、地に足が着いていることを確認するかの様にゆっくりと進んだ。見晴らしも悪いし、一見何の面白さもないように思えるが、僕はこの道が好きだった。世界から切り取られたような白の中を、淡々と歩き続ける。耳に入ってくるのは皆の息遣いと砂を踏む音のみ。登山であって登山でないような、そんな何かの神聖な修行のような雰囲気が気に入った。たかとはYUKIの「クライマークライマー」を聞いていて、安易な選曲だなと思ったが口に出すことはしなかった。


砂利の次は瓦礫道、岩道と歩き辛い道が長く続いた。呼吸を整えながら歩かないとすぐ息切れがする。酸素が薄くなるのを感じるほどに、僕らは頂上へと近づいていた。


4700mのキャンプ場の空は随分青かった。山肌にへばりつくように張られたテントの中で珈琲を飲みながら、「ついにここまで来たな」と長かった道のりを思い返していた。ゆきほとたかとは高山病が辛そうで、そうそうにテントで横になっていたが、弱音を吐くことはしなかった。「ここまで来た、あとはもうゲロ吐いてでも登り切るだけ」、肉体的にはかなり極限なトコロまできていたが、気持ちは萎えていなかった。何より、ここから先は、自分の一歩が自身の最高峰を刻むのである。これで高ぶらない方が可笑しいというものだ。三原に至っては「おれ絶対高山病とかならない自信がある」とまで豪語していた。

早めの夕食を済ませ、出発の22時まで仮眠をとる…はずだったが、気持ちが高ぶり過ぎていたのかどうにも寝付けず、同じように目を覚ましていたおぎのと二人でテントの外で星空を眺めた。「あれUFOじゃね?!」、暗闇の中、そんな他愛無い会話を続ける。これで隣にいるのが彼女だったら究極にロマンチックなのにな、などとどうしようも無い妄想が頭に浮かんだが、きっとおぎのも同じことを思っていただろうからイーブンだろう。そろそろ出発の時間だ、と三原を起こすと、伏せながら険しい表情で床を睥睨し、「やべえ、頭いてえ、高山病だ」と静かに一言漏らした。まったく、ネタに事欠かない男である。

そしてついに迎えたアタック開始。動き出した登山者たちの明かりが山道に連なっており、その行軍に加わって僕らも歩き始めた。この日のために作っておいたiPodのプレイリストに耳を澄ませ、水を多分にに口に含みながらゆっくりと進む。このスピードならば転ぶこともないだろうと、途中からは右手の懐中電灯を消し、星屑の大海に魅入っていた。奇しくもこの日は新月。地表を這う蟻のようなちっぽけな人口の明かり以外に、この夜空の静寂を侵すものは何もない。満天の星空、とは恐らくこんな空を指して言うのだな、と思った。天を割る大河はハッキリと姿を晒している。星座など分かるはずもない。遠く道の続く先を眺めれば、キリマンジャロの山稜に空は切り取られ闇へと帰している。溢れ出す光は燦然たる輝きを放ち、全天を覆い尽くして、眺める者の想念と疲労を流し去るよようで、それは、ここまで登った者だけに与えられる、実に贅沢な褒美であった。

「眠い…」、異変の訪れは唐突だった。とにかく眠いのだ。我慢できる類の睡魔ではなく、脳が強制的にシャットダウンされるような、そんな眠気だった。頭痛や吐き気こそ無かったが、気づけば意識が飛んでいる、そんな状態で岩の間を縫う細い砂利道を歩き続けた。5000mは超えていたのだろうか、ペットボトルの水は凍り始めており、容赦なく吹きつける風は素肌には痛い程冷たかった。

最後の砂利の坂道直前は限界の淵にいた。眠さに加え、息切れが酷い。酸素が少ないのがリアルに感じられる。一歩進むのにさえ気合がいる、そんな状況だった。ゆきほは見るからに辛そうだったし、たかとも口にこそしなかったが相当追い込まれていたように見えた。そんな中、三原は「この酸素がなくてフラフラする感じが最高に気持ちい」などと幸せそうな顔をしていた。コイツはジャンキーの素質があるな、と思ったが口に出すことはしなかった。


そんな坂道をようやく半分越えた時、東の彼方から朝日が昇り始めた。それは怖くなるほど赤くて、それでいて呼吸を忘れるほど美しく、写真に収めるのをすっかり忘れてしまっていた(疲れすぎていてカメラを取り出す元気が無かったとも言う)。雲海の水平線から徐々に空が朝に染められていく、そんな絶景中の絶景に背中を押され、「CONGRATULATIONS」と書かれた看板が見えた時は走り出していた。ヘッドスライディングで飛び込んで、そのまま倒れ込む。後ろを振り向けば、息を切らしながら登ってきた道が眩い光に照らされていた。


…と、最高の登頂気分を味わってられたのも束の間、「最高峰はここではなくてもう100mちょい上」というとんでもないニュースが飛び込んできた。この時の絶望感は言葉にし難い。つい今しがた調子に乗って走ったせいで、体力の残量ゲージは完全にエンプティーだった。だがもちろんここで諦める訳にはいかないわけで、思わせぶりな看板を精一杯の恨みがましい目で睨み付けながら再び立ち上がったのだった。


100mと言っても、単なるなだらかな上り坂なのだが、これが最高にしんどかった。申し訳ないなと思いながらも皆には先に歩いていてもらい、10mずつ死んだように倒れ込みながら、ゾンビよろしく真の「頂上」を目指した。



道中、左手の景色は絶景そのものだった。下界からキリマンジャロを見上げた時に雪に見えていたのは、実は巨大な氷河だった。山に張り付いた氷の壁のようなそれを、朝日が赤、橙、紫と色を徐々に変え染め上げてゆく。朦朧とする意識の中で感じたことを僕の少ない語彙で言語化するのは難しいが、一言で言うならば、世界は、神秘そのものだった。



かかる千変万化の絶景に目を奪われ何気なく歩を止めれば、太陽が照り始め随分日差しが暖かいとはいえど、足元からはじわりと強烈かつ穏やかでない寒さが忍び込んでくるのが分かる。そんな寒気に震える心身に湧き上がるのは、感動とも恐怖とも捉えられない、情感の奔流だった。普段の生活の中で忘れかけていた、自然という得体の知れない圧倒的な存在に対する畏怖心のような代物が、体の内側を四肢の先端まで濁流の如く流れていた。そんな騒がしい僕の内面とは間逆に、5800mの世界は凛とした静寂を保っていた。







『5895m ウフルピーク』

2012年9月18日午前7時12分、僕らはアフリカ大陸最高峰に立った。砂埃で薄汚れ、日焼けで鼻は擦りむけ、全員酷い顔をしていたに違いないが、それはキリマンジャロを登りきった証であり、僕らの誇りであり、肉感を伴う究極の達成感であった。1年と4ヶ月、この瞬間を待ち侘びてきた。いくつも壁はあったが、要は「やるか、やらないか」の二択なんだな、と、雲の上の新世界でそんなことを思った。

「My Life Is My Message」、そんなカッコイイ華々しいことを胸を張って言えるような僕らではないが、最後のキャンプ地で一枚の白紙に僕らの生き様と思いを綴ってきた。ウフルピークの看板前でそれを掲げ、一枚の写真を4人で撮った。チームキリマンジャロのファーストミッションがコンプリートされた記念すべき瞬間である。



『彼女が出来たと言っても過言ではない』

つまりはそういうことだ。









あとがき

登山中、我ながら常々思ったことだが、高校の同級生でここまで強い繋がりを持った仲間なんて珍しいのではないだろうか。卒業と同時に大学も県も学科もバラバラになってしまった4人が、である。
高校時代、留学し学年を一つ落とし、その学年で出会った3人の愛すべきクソ野郎共。運命の神様というのは時になかなか粋な計らいをしてくれるものである。
恥ずかしいし言葉が安くなるような気がするから、口に出して互いを「親友」などと呼ぶようなことはしないが、間違いなくこの繋がりは一生続く。アフリカ大陸のてっぺんに足跡を残した経験より、それは大切なものだ。あーはずかしい!


キリマンジャロのピークは越えたが、僕らの人生のピークはまだまだこの先。これからお互いがどんなぶっ飛んだことをしでかし、どんな風に互いの生きる道が交差していくのか。もっと遠くへ、もっと高くへ。旅はまだ終わらないのだ。


最後に。今回のキリマンジャロ、このメンバーで登れて、本当に良かった。というか、結果論だけども、このメンバーじゃなかったら登れてなかった気すらする。
三原、おぎの、たかと、ゆきほ、ともさん、きょうこさん。有難うございました!





キリマンジャロ情報
・ツアー申し込み会社は『SUNBIRD』(アルーシャ、時計台近くのビル4F)、英語通じるし、雰囲気のイイオフィスだった。
・5泊6日、食事込み、道具(テントや寝袋含む)込み、アルーシャ→モシへの移動込み、で1人$850
・チップは相談の末、1人$110位渡した。3つの封筒にコック・ポーター・ガイド用にチップを配分。モシのホテルで渡した。
・ツアー契約時に契約書はもらうべき。そこに「ポーターは1人につき2人」と書いてもらったおかげか、ポーターの数が増えるor減るなどのトラブルは無かった。





他のメンバーの「キリマンジャロ」

・三原の「キリマンジャロ」→キリマンジャロ(5895m)
・たかとの「キリマンジャロ」→キリマンジャロ(アタック編)

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