2014年4月23日水曜日

ガンガーに祈りを。




去年の11月、実家の犬が死んだ。名前はハビー。享年14歳、舌癌だった。


ハビーが我が家にやってきたのは、僕が小学校5年生の時だった。

当時獣医になりたかった僕にとって「犬を飼う」憧れは強く、「一ヶ月毎朝晩走ったら許可する」という親父の言葉を実行し、近所のブリーダーを何度も訪ねた。

ハビーに出会った日は今でも鮮明に覚えている。たまたま家族でブリーダー宅を訪れた週末、ケージの中に生後2ヶ月のシェットランドシープドッグがいた。帰り道の車の中、箱に入れられたハビーは不安なのか小刻みに震えていた。

中学校進学、高校受験、アメリカ留学、浪人、大学進学、アフリカ放浪・・・。人生の分岐点で迷う夜は、いつもハビーに話しかけながら背中を撫でた。彼女はそれを黙って聞いていた。

大学に入ってからは実家から離れて暮らすようになったが、ハビーに会うのが帰省の楽しみだった。


異変は突如訪れた。

夏休みに帰省すると、ハビーの背骨は随分曲がり、耳は遠く名前を呼んでも反応がない。大嫌いな掃除機を目の前でチラつかせても、声一つあげない。

母親は「掃除が楽になったわ」なんて笑っていたが、どこか寂しそうだった。

そして秋口に母親から1通のメールを受け取った。

「ハビーちゃんがもうそろそろかもしれない・・・」

息をするのが苦しそうで、ご飯を食べる量が減ったと言う。大学の選択講習期間だったが、居ても立ってもいられず急遽帰省した。

ハビーの具合は思ったよりも悪かった。

ガーガーと常に苦しそうな呼吸を繰り返し、痰が詰まったような咳と、時々苦しそうに嘔吐した。妹は「ハビーがアヒルになっちゃった・・・」と呟いていた。

3日間、新潟にいる間、昔よく一緒に歩いた公園を散歩し、夜は背中をさすってあげた。かかりつけの獣医には「舌癌」と診断されたようで、手術に耐える体力のことも考えると、このまま逝かせてあげるのが最良な気がした。


その1週間後、秋田の自宅で訃報を受け取った。苦しそうに暴れた後、ゆっくりと息をひきとったと言う。

覚悟はしていた。だが、同時にどこか楽観していた。「年末までもってくれるんじゃないか」と。

何故あの時、もう1週間学校をサボって一緒にいてあげられなかったのかと、今でも後悔している。


祖父を物心つく前に亡くし、近しい身内の死を経験したことの無かった僕にとって、愛犬の死は相当に堪えた。数日間酒を飲み続け泣き明した後、どうしようもない空しさと、「死」とは単純に「もう会えなくなること」だ、という真理を、今更ながらに理解した。

「このまま時が経てば良い思い出だけが残り、そのうち笑えるようになるだろう」

それはおそらく事実に違いないが、そこに甘えたくなかった。何かハビーの存在を、痛いくらい強烈に自分の中に焼き付けることができないかと考えた。

結局至ったのは「インドで供養する」という安易すぎる結論だった。その頃インドかラオスへ春休み旅行する計画をしたこともあり、これは「インドへゆけ」という啓示に違いないと信じた。

そもそもハビーはインドに行きたがってすらないだろう。完全に僕自身の、どうしようもない感傷とエゴである。



こうして、3月4日、6年ぶりのインドへと旅立った。

自分の人生を大きく動かし始めたかの地への再訪は不思議な感慨を伴ったが、多少の物価上昇や車の数が増えたことを除けば概ね変わらない光景に、どこか安堵感を覚えた。

こうしてカルカッタで1週間、バラナシで1週間、その後再びカルカッタで1週間を、観光する気もなく、ひたすらにのんびり過ごした。


そんな気ままなバラナシ生活最終日、夜中に1人ガンジス川へと赴いた。

昼間の喧噪とは打って変わって、夜のガンガーは生温い静けさに満ちている。

野犬と数人の地元民がたむろする近場のガートの階段に腰掛け、花が添えられた灯籠に火を灯しハビーの遺骨を乗せて流した。

小さな灯火は、川の流れに完全に身を委ね、静かに静かに遠ざかった。ガンジスの深い闇に溶けてゆくその明かりが見えなくなるまで、僕は両の手を合わせて祈り続けた。

生きることと死ぬこと、14年の年月をかけて教えてくれた。「有り難う」、そう呟くと急に目頭が熱くなった。


帰り道、道端のサドゥーに呼び止められ座らされた。

どうした?という質問に答えていると、急に込み上げる感情に耐えきれず、割とガチな大泣きをした。すると、いつもウザっくて仕方ないそのサドゥーが、僕をハグしながら、

「ノープロブレムだ。エヴリシング、オーケイだ。」

と言った。

インドに行かれたことのある方は経験があるかと思うが、この「ノープロブレム」、普段はカチンとくるような文脈で言われることが多い。「プロブレムだ!」と言いたくなる。

ただ、あの夜の、あの瞬間の「ノープロブレム」は、春の木漏れ日のように優しかった。

彼がどれほど僕の話に親身になってくれていたのかは分かりかねるが、その「ノープロブレム」は妙に腑に落ちて、ポジティブでもネガティブでもない、そんな慈愛に似た何かに満ちていて、ハビーと僕の物語にピリオドを添えてくれた。そんな気がした。



ありがとう、そう何度も告げ、宿へ戻ろうとすると、サドゥーは言った。

「明日100ルピー持ってきなさい。」



僕はインドが好きだ。

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